At The Drive-In解体新書 Jim Ward編 (Jim Ward's Equipment)
This article is about Jim Ward's guitars, amps and etc. Especially At The Drive-In Era.
2020年6月5日 詳しいアンプの情報とギターの情報を更新
1.はじめに
オマー・ロドリゲス・ロペス編も書いたんで見てください
http://aburiot.hatenablog.com/entry/2020/01/27/063249
Jim WardはAt The Drive-Inのリズム・ギタリスト、キーボード、コーラスを担当しているが、オマーと比べて余りにも過小評価されているのに加え、全然ネットに情報が無いのでこの「At The Drive-In解体新書」を勝手に書こうと思ったのがキッカケだった。
ジムはATDIの初期メンバーで、94年からバンドを初めて、96年から一年間ATDIを休止、そのあとに2001年の解散まで居続ける主要なメンバー。オマーやセドリック(ボーカル)に比べて目立たない存在だが、実はジムの大学に行く資金をバンドのアルバムを出すために使ってたり、かなりの苦労人ポジションだったりする。
本記事は、そんな彼の機材について考察していきたいと思う。
2.P-90一徹
彼は全体を通してP-90を搭載されたギターを使っていることが多い。Rig Rundownによれば、
ジム・ワードのギターへの愛情は彼の10代の頃に始まり、最初に形になったのはAirlineというガラクタのギターだった。そのギターは高校最初の彼のバンド「セルフ」で役立った。(おそらく)そのバンドが”デカいライブ”を成し遂げたことで、父親にジムが何をやっているかということを証明し、”本物のギター”、つまりはケース付きの新品のテレキャスターを手に入れることができた。10代の残りの時期、彼は”スチューデント”モデル、例えばFender MustangやBroncoなどのモデルを弾いていた。
At The Drive-Inでジムの音の空間(?)と演奏スタイルを発展させていくうちに、彼は一転してSGの世界に足を踏み入れた。彼の機材オタクぶりが頂点に達していたとき、彼がATDIのために乗っていたのは、1961年製のオリジナル・Gibson SG Special(原文間違い・本当はSG Junior)だった。そのギターや他のギターの主成分もP-90だった。彼の極端でなく、前のめりになりすぎないリズムギターのスタイルはP-90にピッタリだった。なぜならジムはそれらが乗ったギターに対して、”ど真ん中で、トレブリーすぎることもなく、荒々しすぎることもない。一切気まぐれなところはない、謙虚な働き者であると感じているからだ。(著者訳)
とある。このことから、彼のサウンドの中核はP-90であると言えるだろう。しかし、意外なことにATDIのキャリアの中では中盤あたりから象徴的なSGが登場する。まずは初期からのギターの遷移を見てみよう。
ジムは94年からATDIのリーダーとして活動を開始するが、わりと短いスパンでギターが変わっている。ATDIが普通のパンクっぽい音楽をやっていた頃、主にテレキャスターを愛用していたようだ。
面白いのが、この「FUGAZI」というインレイのようなものだ。ジムはSparta時代の「無人島に持っていけるとしたら?」というインタビューで、FUGAZIのRepeaterを挙げている。
it!: Say you were being exiled to some deserted island and all you had was a CD player, a lifetime supply of batteries and four albums. What would those albums be?
JW: I would probably take Fugazi "Repeater," Billy Joel "Piano Man," U2, uh, probably "The Unforgettable Fire" and the Beatles "White Album."
Interview with Sparta's Jim Ward | Itcover Stroy | fredericksburg.com
ATDIはモッシュ行為・ダイブ・暴力などをライブで禁止していたことが有名だが(少なくとも再結成前は)、この愛に溢れたギターを見る限り、そういった思想はイアン・マッケイから受け継いでいたことは間違いないだろう。
また、1999年頃まではこの変わった仕様のテレキャスター・シンラインを使っている。ヘッドにFenderと書かれているが、フレイムメイプルトップだったり、コントロールプレートが2つついていたり、ラップアラウンドテイルピースだったり、リアハムだったり…と変な要素が詰め込まれたギターだ。このモデルに関して探してみたのだが、Fenderはこういったモデルは出していなかった(単に私のリサーチ不足の可能性あり)。
ジムはATDIの時期や、解散後に結成したSpartaなどで改造が施されたギターを使っていることが多いが、それこそDIY精神なのではないのだろうか。
1998年後半あたりから彼のメインギターはGibson SG juniorへと移行することになる。おそらくジムと言えばこのSGか、後ほど紹介する白いSGのイメージが強いのではないだろうか。
このリアPU一発というシンプルな仕様は、ATDIの解散後結成されたSpartaで使うギターにも色濃く反映されていたりする。
ペルハム・ブルーという珍しいカラーのSG Junior。ピックガードがパーロイドに交換されているのに加え、テキサス州のステッカーとATDIのステッカーが貼ってある。ヘッドに「Les Paul」と書いてある時期のモデルで、このことから1961年~1963年までに生産されたものだと推測できる。
本人によると1961年製らしいものの、1961年のSG juniorに特徴的な傾いたバーブリッジが採用されていない。ただ時代的に結構ルーズなので、過渡期の可能性もある。1961年でなければ、恐らく62,63年の線が濃厚だろう。
In casino outは98年発表のアルバムだが、ライブでは1999年あたりから登場してるのでレコーディングには使ってないかもしれない。ただ虎の子的な感じでライブには使ってなかっただけの可能性もある。
2020年6月5日追記:98年のライブで青SGは使われていたので使われている可能性が高い。
2000年あたりから使われ始めたポラリス・ホワイトのSG Junior。ステッカーが貼られる前の写真だが、既にピックガードがべっ甲のものに交換されている。これもヘッドにロゴがあるタイプのもので、1961~1963年製のものであると推測できる。
2020年6月5日追記:過去にジムはebayにこのギターを売りに出していたらしく、アーカイブされているサイトの上では1964年製となっていた。このサイトが間違っているか、また単に過渡期だったために残っていた可能性が考えられる。
このSGはRelationship Of Commandのレコーディングにも使われており、ピックガードを外した状態で演奏しているのが確認できる。レコーディングの様子はこの映像に残っている。
ヴィンテージを使うのが怖くなったのか、壊れたのか定かではないが、その後は当時の現行品のSG Juniorを使うことが多くなる。本機は主に2001年のライブで使われていることが多い。
基本的に1vol,1tone、1基のP90という従来のスタイルは踏襲しているが、ピックガードがラージという点から、当時の現行品のSG Juniorであったと考えられる。
また、2001年頃になってから頻繁に使われるようになったのが、似た仕様のFernandesのMonterey Xというギターである。
比較するとわかると思うのだが、ピックガード増設、ブリッジをラップアラウンドタイプに交換、リアにP90をマウントなど、随分手の混んだ改造がされている。このモデルでジムが使用しているものに近いものを探してみたのだがインターネット上では見つからず、本当に改造したという可能性もある。
3. アンプ
彼は1999年頃まで、Marshallの子会社であったPARKという会社のアンプを使用している。
これは憶測だが、モデルはPark 45というもので、MarshallのJTM-45と中身は似ているらしい。
2020年6月5日追記:ebayでJim wardで調べてみるとなんと彼が当時使っていたParkを発見した。
Check out 1973 Park 150 Watt Artist owned Jim Ward Sparta ATDI Sleepercar Road and studio https://www.ebay.co.uk/i/323928056684?chn=ps
1973年製・Parkの150というアンプ。まだ買えるらしい。
憶測に過ぎないのだが、FUGAZIのギー・ピチョットもPARK製のアンプを愛用しており、そこからの影響ではないだろうか?
また、これは一時期でしかないのだがMesa/boogieのMARKⅡも使っている時期がある。
2000~2001年まではMesa BoogieのDUAL RECTIFIERを使っており、サウンド的にもRelationship Of Commandのレコーディングで用いられているのではないだろうか。
一貫してジムが用いるキャビネットはMarshallのストレートのものであり、仕様から恐らく1960Bだと思われる。
彼の後期のサウンドの特徴としては、P90+レクチファイヤーのクランチという組み合わせで切れの良い重厚感のあるサウンドである。この組み合わせがオマーのペラペラしたリードの音と絶妙にマッチして、他のポストハードコア・バンドとは一線を画するATDIサウンドが生まれたのではないだろうかと私は考えている。
3. エフェクター
アンプやギターもそうであったのだが、ジムの機材に関しては本当に情報が少ない。なので、基本的にYoutubeの映像をスクショして拡大したり、昔の写真を漁って研究などをしたので、ほとんど憶測であることに注意してほしい。
目を凝らさないと見えないのだが、少なくとも1999年にはProco RAT2(USA製)を使っていたことがわかる。In Casino Outにおけるジムの音作りは、クリーンとディストーションの二種類しかないので、前述のPark 45とRATの組み合わせで音を作っていたのではないだろうか。
画像が荒すぎてよくわからないが、恐らく左からレクチファイヤーのチャンネル切り替えペダル(初期型)、BOSSのTU-2、BOSSのTR-2、BOSSのDD-5ではないだろうか。この推測は、この画像以外にも色々と資料を探した結果辿り着いた結論である。
TU-2とDD-5に関しては、Sleepercar(ジムがSpartaの休止中にやっていたカントリーロックバンド)の盗難された際のメッセージの中に載っていたのでそう考えた。
ペダルの繋ぎ順に関しては、センドリターンなどを使わずにそのままインプットに繋いでいるようだ。これはオマーも同じ手法を用いているのだが(詳しくはオマー編を参照)、ディレイの音がそのまま歪むことにより、ATDI特有のサウンドを生み出している。
At The Drive-In解体新書 Omar Rodriguez-Lopez編 (Omar Rodriguez-Lopez's Equipment)
aburiot.hatenablog.com Jim Ward版も書きました
This article is about Omar Rodriguez-Lopez's guitars, amps and etc. Especially At The Drive-In Era.
1. はじめに
どうしても眠れないので自分が最も好きなバンド、At The Drive-In(ATDI)のOmar Rodriguez-Lopez(以後オマーと表記)の自分なりの研究のまとめを作ってみようと思う。
オマーは1995年にベースとしてATDIに加入し、1996年にリードギターに担当が変わる。そのとき同時にドラムのTony HajjarとベースのPaul Hinojosも加入することになり、1997年にリズムギターのJim Wardが休止から復活し、以後2001年の解散までこのラインナップとしてのATDIを続けることになる。
2. オマーの特異性:機材
私が思うに、彼の凄さとは機材の使い方にあると思う。彼はもともと父親がラテンピアノ奏者だったこともあり、元々ピアノがやりたかったらしいのだがあまりできなかったらしく、それが影響しているのか只者ではないギター・サウンドを作り出している。
2.1 愛機・スーパーソニック
彼のATDIでのキャリアの殆どは、スクワイア・スーパーソニックが使われている。極初期はSGを使っていたらしいが、恐らくライブ・パフォーマンスを見る限りでは彼はギブソン系は向いてないような気がする。
彼は二本のスーパーソニックを使い分けており、片方はメイン・片方は弦が切れたときのサブという使い方をしていた。
彼のスーパーソニックは元々右利き用のものを反転して、コントロールプレートを移設しているという部分に最大の特徴がある。スーパーソニックを使い始めたとき(98か99年頃?)には、既にこの改造が施されていた。しかしピックガード・PU・ブリッジのコマは変更されておらず、「オマーのスーパーソニック」として有名な形になるまでは、もう少し後のようである。
順を追って見ていくと、徐々に改造されていっていることがわかる。
最終的に一号機(メイン)は
・ノブの交換
・ブリッジのサドルの交換(おそらくグラフテックのもの)
・ピックアップの交換(Seymour Duncanのものなのは確かで、SH-4 JBだとされているのを海外フォーラムで見たことがあるが、定かではない)
・コントロールプレート移設・ピックガードの交換
・スクワイアのロゴが削り落とされている
という改造をされることになる。
2号機(サブ)の登場は1999年頃で、全く改造を施されていないスーパーソニックを見ることができる。
2号機の最終形は1号機とほぼ同じで、ステッカー跡の有無とノブで見分けることができる。
彼はATDIでほとんどはスーパーソニックを使っていたが、他のサブとしては1970年代のものだと思われるムスタングとMatonのMS500が使われていた。ムスタングに関してはこの動画で途中で交換しているのがわかる。意外にもムスタングはオマーの最近のキャリア、特にAntemasqueでメインギターとして使われている。
2.2 エフェクター
オマーといえば馬鹿みたいな機材の量というイメージが定着しているが、意外にもATDIとしてのキャリアの初期はチューナーすら使っていなかったようである。
この動画によれば、ドラムのトニーとベースのポールに「プレイ・スタイルは好きだけど、チューナーを使ってくれ!」的なことを最初に言われてチューナーを使いだしたらしい。
1999年頃ぐらいまでは、彼はエフェクターは4つしか使っていなかった。以下に列挙する。写真がないのでこの動画から推測した。 まな板みたいなものに載せている。
BOSS DD5
BOSS BF-2
BIXONIC EXPANDORA(後期型のノブが4つのもの)
(BOSS OC-2)
OC-2をカッコで閉じたのは、たまに入っていないことがあるのとキャリアの後期ではボードから無くなっているからというのが理由である。しかし、他のペダルはキャリアの後期まで用いられており、これらが彼のギター・サウンドの核であるといえると思う。In-Casino Outの時期のギターサウンドは、これらで全て再現できる。
彼の足元が増え始めたのはこの後からである。
増え始めてきた頃の足元。左から、
Ernieballのボリュームペダル
スイッチャー(メーカーわからず)
BOSS DD-5
BOSS OC-2
Electro Harmonix Small Stone(でかい時期のもの)
Electro Harmonix Deluxe Memory Man(初期型)
ADA Flanger
BOSS DD-5
BOSS TU-2
BOSS BF-2
見えないがおそらくLINE6 DL4とProco RAT2(USA製)
ボリュームペダルとスイッチャーはすぐ外れているのでそこまで重要ではないが、これらはRelationship Of Commanのレコーディングにも用いられているので彼の後期のサウンドはほぼこれらで作られていると言っても過言ではない。彼のボードはBIXONIC EXPANDORAとRAT2が結構頻繁に入れ替わるのだが、何らかの基準があったりするのかは定かではない。
最終的に、これらに
Digitech Whammy 4
Moog MF-102 Ring Modulator
が追加されているようだ。
私もイメージ上その印象が強かったので反省しなければいけないが、オマーはワーミーをレコーディングでは一度も使っていない。(イメージだけでワーミーを買って後悔したことがある)ライブでのインプロビゼーションではこの2つをよく使っているが、アルバムのサウンドを聴く上ではこれらは一度も使われていない。
さて、今までの情報を整理した上でオマー・サウンドをコピーするために重要なのは何であるかということを考察してみよう。私は、最低限必要なのは以下の6つだと考える。
①デジタルディレイペダル(ディレイ用)
②デジタルディレイペダル(グリッチ用)
③ラット系のペダル
④Deluxe Memory Man系列のペダルか、Memory boy
⑤フェイザー(できればSmall Stone)
⑥リアハムのフェンダー系ギター
ここで強調しておきたいのは、最も重要なのはペダルの繋ぎ方であるということだ。そのつなぎ方とは、歪ペダルを一番最後に置くことである。この繋ぎ方によって、ディレイサウンドが一気に飽和するようになり、「Invalid Litter Dept」に代表されるようなカッコイイディレイサウンドを出すことができる。
この写真のように派手にディレイがかかる設定にしたほうがオマーのサウンドには近づく。
Deluxe Memory Man系列のペダルか、Memory boyと書いたが、オマーはこれをヴィブラートや発振、普通のディレイとしてまで幅広く用いており、The Mars Voltaの時期にも愛用されていた。例えばCosmonautの後半などで、このペダルの一番かっこいい使われ方がされている。(2:15~)
このウニョウニョしたサウンドからどうしてギュンと下がるようなサウンドが作り出せるのか?理由は簡単で、カメラのアングルのせいで見えないが彼はディレイ・タイムのノブを足で動かしてこのサウンドを作っているのである。
また、Cosmonautは他にも面白いエフェクターの使い方がされている。同じ動画の2:54を見て欲しい。このギュルギュルギュルというサウンドはSmall Stoneを使って出しているが、これもスピードのノブを足で動かして作り出しているサウンドである。恐らく、足で操作しやすいという理由でわざわざ古いほうの大きいSmall Stoneを使っていたのではないかと推測できる。手前味噌であるが、これらを踏まえた上でCosmonautのカバーを作ってみた。この頃は研究があまり進んでいなかったのでそこまでサウンドの再現性は高くないとは思うが、最低限のツボは押さえられているように思う。
前述の通り、彼のサウンドを作り出すのには最後段に歪ペダルを置くことが必要不可欠である。私が思うに、ヘッドのチャンネルを切り替えるような感じで歪ペダルを使っていたのだと思う。それを踏まえた上で、最後に彼のアンプを考えてみよう。
2.3 アンプ
彼はThe Mars Voltaではオレンジのスタックをめちゃくちゃな数使っていた(もっとも、TMVの後期には落ち着いたらしいが)ため、オレンジのイメージが根強いが、彼はATDIでは2000年ぐらいからオレンジアンプを使いはじめ、その前まではMarshallのSuper Lead 100wを使っていたようだ。彼はジミヘンをフェイバリット・ギタリストとして挙げているのだが、オールドマーシャル系を使っているのはジミヘンの影響なのだろうか?
正直私はアンプの類に関してはあまり詳しくないので、キャビネットの詳細はわからなかったが、昔の写真を見るとMarshallのエンブレムがついていたのでMarshallの4×12、ストレートのキャビネットであることは確かである。
99年頃のライブなどを見るとこのキャビ+アンプの隣にオレンジのアンプが並んでいることがあったので、恐らくオレンジは元々サブのアンプだったのだと思う。オレンジアンプに変わってから、プエルトリコの国旗がかけられていることが多かったのだが、こちらの写真はモデル名が写っている。
このアンプはOrange OTR120という、Orange OR120のマスターボリューム付きのモデルであるようだ。彼がオレンジを使い始めたキッカケとしては、MC5がオレンジアンプを使ってたからだそう。Orangeアンプのインタビュー動画でそう答えている。
キャビはおそらくMarshallの1960Aであると思われる。
この二台のアンプに共通するのは、「でかい音量でクリーンが出る」という点である。2つとも1チャンネルのアンプで、最終段に歪みペダルを置いていたことからわかるように、チャンネルを切り替えるようにして使っていたのだと憶測できる。
彼のサウンドとは、古い機材と当時の新しい機材(エフェクター)を組み合わせて創り出した完全に新しいサウンドだったといえる。
3. 最後に
最近ATDI好きが私の周りで増えており、それに伴いたまにオマーの機材について聞かれることがある。多分だけど、愛知県で一番ATDI時代のオマーについて詳しいのは自分だと思っている。なので、ここで自分が集めた知識を体系化しておこうと思い、このブログを書いた。もちろん機材以外にも彼のプレイスタイルには特徴はあるが、正直音楽理論とか全然わからない。突っ込みどころが多くなりそうなのでそれについて書くのは控えた。次回は過小評価(Underrated)されている、とよくATDIのコメ欄に書き込まれているリズム・ギタリスト、Jim Wardについて書こうと考えている。→書いた
これらは全て独自研究であり、出典も怪しいのであまり参考にはならないが、オマーに憧れる全てのギタリストにとって参考になれば幸いである。
出会って6秒で改造(ムスタング買いました)
俺です。アマノ・ロドリゲス・ロペスです。
最近給料が入ったのでムスタング買いました!!!
!!!!!!
!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!
改造しました
メインはモモセのシンライン使ってるんですけど、気軽になげたり、いじれるギターが欲しくて。
あとオマー・ロドリゲス・ロペスがアンテマスクのときにムスタング使ってるの見たので、買いました
リアピックアップはアマゾンで売ってた1000円ぐらいの中華ピックアップです。ギフト券が残ってたので300円ぐらいで買いました
特に問題も無く、ポン付けできたのでネジとか探してもたついてる時間も含めて30分ぐらいで終わりました
肝心の音なんですけど、改造前の音源はありません。忘れてました普通に
改造後の音は、At The Drive-InのCosmonautカバーしたんですけど、バッキングとリード両方でこのムスタングを使いました。エフェクターも使いました
センターの音が異様にキンキンしてたんですけど、交換したらいい感じになって満足してます。
あ、そうだ、最近アイバニーズのDE7ってエフェクター買ったんですよね それもつかってるよ
こいついつも布団の上で録音してんな
ムスタングってよくチューニング狂うって言うじゃないですか、まあ実際そうなんです。ネットにはちゃんといじれば狂わないよって書いてあったんですけど、昨日一日中いじってわけわかんなくなって普通にベタ付けしたので、わかりませんでした
よく考えたら俺アーム使わないしいらんかったわw
★オマー・ロドリゲス・ロペスのロドリゲスロペスなんですけど、スペイン系の名前って両親の名字を繋げるらしいですよ
いかかでしたか?
寝るわ
10キロ痩せました!!!
おはようございます!前回より10キロ身軽な天野です!!
2018年11月27日にダイエットを始め、2019年1月14日にマイナス10kgを達成しました。
・きっかけ
俺が所属してる軽音サークルで、ライブごとに写真撮ってくれるんですけど11月の写真見たらやばいんですよね、肉が。他のサークルの人たち(痩せてる)はかっこいいし、可愛いかったりするのに俺だけめちゃんこデブ・ブサイクで、アカンな、って…。
いくら頑張ってギター弾いても、何しても、デブがやると超コミカルなんすよね。
ある意味お得ですけどね!!
あと、二十歳になったんで、良い区切りだと思って。生活習慣病マジで怖いんで。
あと、これです
え、これ俺じゃん。ってなって。思考回路がもう太ってんねんな。
なんか、くだらないことでもしたらご褒美とか言ってすぐ食べちゃうんですよね、意味わからんな!まともな食生活もせずに何がご褒美だよ!
・やったこと
俺は運動が嫌いなんですけど、(汗をかくのが嫌なので)
一切運動しないで、基礎代謝と日常生活だけで痩せようと思いました。
・朝昼のご飯を全部サラダに置き換えた
・間食無くして深夜に飯食わないようにする
・エレベーター、エスカレーターを使わずに階段で移動するようにする
・階段を一段とばしする
・(これは二週間ぐらいで終わったんだけど)スクワットと腕立て伏せをする
・無駄に歩く
・夕飯は普通に食うけど、炭水化物の量だけ気をつける(ご飯は一杯まで)
・逆に、夕飯普通に食う前にサラダを食って腹を膨らませてから食うと満腹感が異様にある
・サラダを食うにしても、サラダチキンとかで味の変化をつけて飽きないようにする
・低カロリーのドレッシングを選ぶ
↓俺はこれ使ってました、カロリーが14kcalと低く、オススメです。
これを12月中ずっと続けてました。
20年間甘えっぱなしの俺がなんでこんなタイトな生活が出来たのかは、自分でもわかりません。自分のどこにこんな根性が眠っていたのか…。
・俺の体質について
俺の体質というか、身体についての話です。
俺は、身長180cm、体重███kg(まだ公表できる数値には至ってないんです…)
で、高校生のとき少しラグビーをやってたからか、タニタの体重計では筋肉量はかなり多めという表示でした。
しかし、基礎代謝は標準より低いという謎な体質でした。
ダイエット初期は、もとが糖質摂りすぎ+間食多すぎなせいですごい勢いで減っていきました。一週間で3kgぐらい落ちました。
そっから上記の生活を続け、調子がいい日は0.8kg減ったりしてたんですが、やはり身体が低燃費モードに切り替わるという噂は本当のようで、12月の終わりごろになるといくら食事を減らしても全然減らなくなってしまったんですよね。
そこで、チートデイなワケです。
学校が一段落して、冬休みの前日に友人とステーキガストに行きまして。俺はポテトサラダが好物なんですけど、ポテトサラダをワーッッ!!って食ってガーリックライスもワーーーッッ!!って食って、肉もワッッッッ!!!って食いました。最高でした。
太るでしょ、って思うじゃん?俺もそう思ったんだけど、次の日体重計乗ったら何故か0.9kgも痩せていました。
このチートデイ以降、普通にまた減るようになったんですよね。ガンガン減ってたんだけど、最近全然減らねえなって思ったら試してみて下さい。俺の場合だと7kg近く落ちてから全然減らなくなったので、そこらへんかなと思います。
・まとめ
いかかでしたか?(w)
食べるものにおいては、脂質と糖質の量をチェックするのが大事です。同じカロリーでも、構成の比率においてタンパク質由来のカロリーなのか糖質由来のカロリーなのかで、大分変わってきます。その点において、サラダチキンやゆで卵はとても優秀な存在なので、サラダと組み合わせて食べてみて下さい。
結局痩せる痩せないっていうのは、一日の消費カロリーと入れたカロリーの引き算でしか無いので、食事制限すれば多分誰でも痩せるんでないかな、と思います。
あくまでも個人の体験談ということだけここに記しておきたいと思いますが、俺ができたので、誰でもできると思います、余裕だって!
ずいぶん偉そうに語ってますが、まだまだデブ脱却の道は程遠いので(あと20kgは痩せたい)これからも頑張って行こうと思います。天野でした。
「天使は月の上で笑って」セルフライナーノーツ
おはようございます!3日ぶりですね。Natsukageのアマノです。
2018年2月15日に「天使は月の上で笑って」という曲を無事リリースすることができました。聴いていただいた皆様、ありがとうございました。
リリース当日にこのブログに投稿した、ちょっとした物語のあとがきにも曲について少しは言及してあるんですけど、それだけでは俺が語り足りなかったのでこれはこれで別としてセルフライナーノーツを書こうと思い立った次第です。
なので、多少あとがきとは内容が被りますがそこはご了承願います。
・曲を書いたきっかけ
俺は、ルナちゃんが、好きだ!
というのがきっかけです。12月末に色々な問題が積み重なり、どん底な気分だったんですけど、確かそのあたりにVIRTURE YOUTUBERの輝夜月(かぐやるな)ちゃんの動画がバズり初めて、それを見たらみるみるうちにメンタルが良くなりまして。
最初は中学生のとき仲良かった女の子でこういうテンションの高い子いたよな~、みたいな感じだったんですけど、繰り返して見るうちに無意識のうちに彼女を求めるようになったんですよね。
かくして、俺は彼女を好きになりました。
ツイッターでキモいツイートを連発したり、
(彼女は血液型占いが好きなので)
友人と空想を共有したりしていました。
意外なことに、この空想が今回の曲がルナちゃんのことだけではなく大きなテーマを持つことに至った理由になりました。
俺が女の子を好きになったり、物語にショックを受けるたび曲を書くのは最早伝統芸能のようになりつつあります。
輝夜月ちゃんという”天使”を形容するのには、適当な曲じゃ絶対駄目だよなと思って歌詞をこねくり回したり、アレンジするのに二ヶ月ほどかかってしまいました。
・歌詞
「天使は月の上で笑って、君だけが解る星の高度まで。」
というタイトルにもなっている象徴的なフレーズですが、これは俺が昔ツイートで考えた
「五月の雨の中で君は笑って」というロキノンバンド名を元にしています。
そのフレーズ自体は気に入ってたので曲名に使おうかなと思ってたんですけど、歌メロに合わなくて「五月の雨の中で笑って」っていうタイトルになったんですよね。
そこでルナちゃんが出てきます。
でも、彼女はそういうタイプではないというか、イメージ的に「雨の中では笑って」はいないなと思ったので、なんとかしてひねり出したのがこのフレーズです。
俺は曲のストックを何個かしておいて、歌詞のモチーフは本格的に制作に入るときに決めるという形が多いのですが、これは元になる詞があるという珍しいタイプの曲でした。
また、天使という言葉はスペシャルサンクスにも載っているシンディが何度も彼女をそう形容していたことや、RadioheadのCreepの歌詞の一節、"You're just like an angel"など、そこから拝借したものでした。
輝夜月の輝夜とは、恐らく竹取物語のかぐや姫からとられています。(彼女は自分が「姫」であると何度か自称していたので)
だから、歌詞の中で俺は、月に帰ってしまう君を、永遠に届かない君の腕を掴もうとしました。
"宇宙飛行士になりたかった"という歌詞がありましたが、俺が宇宙飛行士になりたかったわけではありません。この歌詞はAt The Drive-InのHourglassという曲の一節からとられています。(正確には”宇宙飛行士だったら良かったのに”ですが)
Truly stressing realization
I wish I was an astronaut
Eight hour bitterness, all for whose sake?
Stain glass Sunday school charades
曲のテーマがルナちゃんと人間の想像力なので、宇宙っぽい曲(オケ)にしたいなと思いました。
俺は元々宇宙が好きで、Natsukageとしては発表していないものの宇宙をモチーフにした曲を何度も書いてきました。
好きな人や物について書いた曲なので、今回は色々な好きな物を寄せ集めて楽しい曲を作ってみようという試みもありました。パクったと言えば聞こえが悪いですが、自分の好きな曲の要素を散りばめて曲をアレンジしていくのはとても楽しい作業でした。
Hourglass
Pattern Against User
One Armed Scissior
Pickpocket
・Sparta
Breaking The Broken
Cut Your Ribbon
赤い公園 - サイダー
Boysetsfire - Requiem
The Jon Spencer Blues Explosion - Bellbottoms
どうぶつビスケッツ×PPP - ようこそジャパリパークへ
Stereo Fabrication of Youth - Two Creatures
La Dispute - The Most Beautiful Bitter Fruit
Shihad - The General Electric
※思いついた順で並べています
以上がヒントにした曲のリストです。特にジョンスペのベルボトムスとかはかなりドラムの参考にしたので解りやすいんじゃないかなと思います。
あとATDIのPickpocketもイントロですぐ解るんじゃないかな?
・レコーディング
相変わらずほとんど家で録音したんですけど、今回ボーカルだけはスタジオで録音してみました(機材等はいつもと同じ)
以前アルバムを出してから半年間、色々な歌に触れて、自分ももっと歌を大事にしようという心境の変化があり、なんとなく気合を入れたかったので今回はスタジオで録ることにしました。
ほとんどライブの経験が無く、家でもあまり歌わないので何本もテイクをとるのは喉の体力的には大変な作業でした。10回ぐらい通しで録って、そこから三本のテイクを選び、それをフランケンシュタインのように継ぎ接ぎで良い所を選ぶという作業を実験的にやってみました。
あと実はオケ自体は12月中に全部出来てたんですけど、どうしてもミックスに納得が行かなかったので全部消してもう一度1から作り直すというのを二回やりました。
(これは最初期のやつ)
合計で三回作り直したんですけど、三回目はNatsukageの音源全てで使っていたジャガーではなくシンラインで録り直しました。
俺は適当な性格なので、デモバージョンのものをそのまま使ったりするんですけど、こんなに丁寧な仕事はしたことがありませんでした。今回の作業で解ったのは、こういうプリプロのようなものはちゃんと意味があるということでした。
・ノイズ
今回、アウトロのノイズは以前からツイッターで親交があったNerdy Pixieの灰野さんにお願いしました。いつか彼の出すノイズを自分の曲に入れてみたいなという思いがあり、この曲で無事実現することが出来ました。
前にも書きましたが、宇宙はテーマの一つとして外すことは出来ません。
だから宇宙的なノイズというか、交信しているような何かが欲しかったんですけど、それについては一言も言わずに「ノイズが欲しい」とだけ依頼すると、予想以上に”交信”しているノイズが送られてきてそのハマり具合に驚いたのを覚えています。
改めてありがとうございました。
・アートワーク
アートワークは毎回自分で作るんですけど、これも何度か作り直しました。
最初は上に挙げた初期版のジャケットで、これはルナちゃんの服の柄と瞳をモチーフにしたものでした。
でもある日、自分でも「天才だろ!」と言いたくなるような発想を思いつきました。
歌詞でも触れているように、俺は彼女の瞳が大好きです。
だから、それをそのままジャケットにしてしまえという発想でした。
この最初のやつは流石にピクサー感がキツすぎるなということで、この構図と色を活かしたまま現在のジャケットになったわけです。
こんな、EP一枚分ぐらいのこだわりを一曲に詰め込んだ曲が「天使は月の上で笑って」という曲です。
最後なんですけど、次の音源に入れる曲はもう何曲か作り始めていて、リリースは夏休み頃を予定しています。
「My Lost Blue」セルフライナーノーツ
ミックスを10時間連続でやったら腱鞘炎になりかけました。
お久しぶりです。天野です。
出ました、ついに、アルバムが。(倒置)無料です。
セルフライナーノーツを書くにあたって、このブログの文章を久々に見たんですけど酷いもんですね。
7ヶ月前の俺の文章でもこんなに痛々しく見えるのに数年後見たときなんて考えるだに恐ろしいです。
最初に言っておきたいんですけど、この文章はライナーノーツというより天野の自分語りが約5400文字で展開されています。
不快になる方もいるかもしれませんので、最初に言っておきます。この記事は俺の長文自分語りです。
・Natsukage
今回のアルバムを機に名前をfazethedazeからNatsukageに変えたんですけど、そのことについてまず書こうと思います。
話は単純で、
・fazerdazeというとても似た名前の宅録(!)バンドがいる
・「フェイズザデイズ」と言いづらい
・中学三年生のときに勢いで考えたものなので前々から変えたいと思っていた
以上の三点が理由です。
そしてNatsukageという名前につきましては、あの夏影です。
ウオオオオ~...(慟哭)
前からこの曲俺が作ったことにならないかなとか思っていたんですけど、流石にそんなことはありえないのでバンド名にすればいいんじゃないかと考えました。
あと夏影ってとても字面がきれいですよね。俺が夏影だ!
バンド名については候補が複数あって、
「While Oceana sleeps」(While Oceana Sleeps - YouTube)
「Send Transmission From The One Armed Scissor」(At The Drive In - One Armed Scissor - YouTube)
「Cut Your Ribbon」(Sparta - Cut Your Ribbon - YouTube)
「Glacier」↑の歌詞から
どんだけATDIとSparta好きなんだ俺。
バンド名をめっちゃ長くしたり、逆にユニークでない単語をバンド名にするのは憧れがあったんですけれど、英語だと言いづらいし自分は日本語が母語なので日本語の単語をローマ字で表記しようと思ったんですよね。
そして、自分は夏に対する憧憬が強くて、実際に夏に何かあったわけでは無いですけど夏って何かわくわくしませんか、何かあったわけでは無いですけど(ディレイ)
自分でもわからないぐらいに夏の曲を書いてしまうので、結果として”夏影”が最強だと考えた次第です。
導入程度にバンド名を変えた話をしようと思ったんですけど、予想以上に長くなってしまいました。いい加減セルフライナーノーツを書きます。
・『My Lost Blue』というタイトルが意味するもの
このアルバムは元々大学生になってから作った曲も入れるつもりで、本当は14曲になる予定だったんですけど、デモでちょっとしたアルバムを作って曲を並べて聴いてみたんら致命的に高校時代の曲と大学時代の曲が合ってないんですよね。
このアルバムに入っている曲は中三の冬~高三の春ぐらいに作った曲で、確か当時はブッチャーズだとかnakanoiseだとかナンバガとかを聴いていました。
曲の感じの違いが大きくてもしょうがない感じがあったんですけど、やはり俺が納得できないので大きく削って8曲になりました。
My Lost Blueとはその中三~高三のときのことなんですよね、思い出や青春がどうとかだけではなく、単純に曲の作風としても。
大学生になってから書いた「透明度」という曲があるんですけど、それはわりかし評判が良かったので別に衰えたとかそういう感じではないですが(多分)。
けれども高校生のときにしか書けない曲ってあると思うんですよね。って、自分が「エウレカ」を書いたときも同じことを考えていました。
・スカイブルー
中学三年生の春に書いた曲です。紛らわしいんですけど、春とは中二から中三から変わるときではなく中学校を卒業するときのほうの春です。
当時から、アルバムを作るなら絶対この曲を最初にするぞと考えていました。
”スカイブルーのあの頃”が何かは覚えてませんが、そんな寂しさを込めた曲だった気がします。
Skyblue by fazethedaze (当時の音源)
実はスカイブルーの前にもハードロックの出来損ないみたいな曲も書いていたんですけど、あるときnakanoise
ナカノイズ - ツキワケ ~ ハクジツ (Live) - YouTube
に出会って俺も曲こういう曲書きたい!なんて思って衝動だけで録音しました、このときは。
・エウレカ
高3の春に作った曲です。エウレカセブンのオープニングです。嘘です。
エウレカセブンのオープニングを作るなら、というテーマで作った曲で、エウレカセブンを高2の夏に見て、かなり辛くなって気持ちの整理がついてからエウレカセブンの素晴らしさを曲に落とし込みたいなと思ったんですよね。
これを作ったときはアニソンを聴きまくってどういう感じのメロディーが気持ちいいか研究...はしてないんですけどその影響は如実に現れていると思います。
実際自分の中で一番気に入っている曲で、身内からの評価も一番高く、ありがたいことにカバーをしてくれる人もいました。その中の一つを紹介します。
これ聴きまくってたらメロディーが本家(このアルバム)に逆輸入されたんですよね
夏に起きた奇跡って何? とか言われるんですけど、俺個人とは全く関係無くて
エウレカセブンの中に出てくる「サマー・オブ・ラブ」という現象のことです。
この歌詞は結構そういうネタ的な物が自分の書いた歌詞の中で最も盛り込まれていて、例えば”君の方へ 放物線描いて"という歌詞があるんですが、オープニングやアニメの戦闘シーンが元になっています。
あとBメロの”ただ過ごす DAYS”もこのOPの曲名、「DAYS」が元ネタになっています。
まだまだあるんですけどキリがないのでここらへんにしておきます。みんなもエウレカセブンを見よう。
・不発弾
高1の冬に書いた曲です。このアルバムの中では一番激しいというか、パンクっぽい感じなんですけど、当時はシロップ16gにはまっていてソドシラソがとても好きだったのでそういう曲を作ろうとしてドラムをちょっと真似しました。
”くだらないもの”とは他人からの期待や余計なプレッシャーのことです。(多分)
この曲はCメロ(二番サビ後)が気に入っていて、不気味な感じを出すために歌詞を囁いたものをステレオで鳴らしています。あと機械に読ませた文章を超高速で鳴らしています。あとボーカルを発振させたりして、このパートは作ってても楽しかったです。
・Dawn
俺的にこのアルバムで一番暗い曲です。これを書いたときは受験のためにツイッターを辞めてて、それでも入試の直前の模試でひどい結果が出てとても辛くなったときに書いた曲なので、その時の心境がモロに出ている気がします。
ひどい結果が出てから握る物がギターじゃなくてシャーペンだったら良かったんですけど、いつもそういう感じですからね...
当時ツイッターを辞めてはいましたが別に勉強をしていたわけではなく、アニメとかを見まくってたんですけど、その時に見てたのが「serial experiments lain」なんですよね。
曲が入る前にノイズが入るんですけど、lainの中で鳴ってる変なミョーーーみたいな音を真似して作った音が入っています。
https://youtu.be/mlt_lcPQcaQ?t=11m17s
・海辺の街
高2の夏にブッチャーズのオマージュとして作った曲です。「デストロイヤー」をパ、オマージュしています。
この曲は5弦以外半音上げっていうわりかし変なチューニングだったんですけど(吉村さんの変則チューニングリスペクト)、別にそうする必要もなく普通のチューニングで弾けたので、結局アルバム版ではレギュラーチューニングで弾いています。
アルバム版ではサビでア~ア~みたいなコーラスが入ってて、元々はその音量が小さかったんですけど、HoleのMalibuという曲のコーラスがめちゃくちゃ綺麗でそれを真似してコーラスを前に押し出してみました。
そこが気に入っている曲です。
・空蝉
高3の夏に作った曲。
最初はドロップCの曲を作ろうと思ってサビのドラムを考えたんですけど、なんか作ってるうちにシューゲイザー(雑なイメージ)ぽくなったので自然とそういう感じになった曲です。
リードギターのイントロのフレーズがとても気に入っていて、それを全面に出すようなミックスにしてみました。あとバスドラが全然前に出ないので結構過剰なEQを前まではかけてて、パンテラのバスドラみたいな音になっててそこが個人的に面白かったです。
歌詞のモチーフについては、家の近くにデカい木があってそこに俺が小学生のころからずっとその木に張り付いてる蝉の殻があったのでそこから空蝉(現身という意味もありますが、この場合は蝉の抜け殻という意味です)というヒントを得ました。
主な内容は、周りはどんどん先に行くのになんで俺はずっと止まってるんだろうという感じの歌詞なんですけど、高3の夏と言えば受験シーズンなので勉強してる周りを見て何も手をつけていない自分に焦りを感じたことについての曲です。でも受験期が一番曲作りが捗りました。
・Intro
わけのわからないところにintroが挟んであるんですけど、これはスカイブル~空蝉からの流れを一旦断ち切るために入れたものです。
Stereo fabrication of youthのAudityというアルバムに入ってる”intro”が映画音楽みたいでかなり良くて、それを真似して映画音楽とまでは行かないけれど何か物語を感じるようなIntroを入れたいなって思ってたんですけど、スカイブルーの最初のギターが鳴るところからアルバムをどうしても始めたかったのでこれはエウレカ(ライブ)の前に挟むことにしたんですよね。
ピアノは大学の友達で俺の曲を気に入ってくれてるやつが居て、そいつがエウレカをカバーしてくれたんですけど、これでなってるピアノはそのMIDIを貰って俺がVST通してエフェクトやってゴチャゴチャしたやつです。
途中からリバーブがガッツリ効いたキックがドーーーーーーーンってゆっくり入る所があるんですけど、そこが気に入っていて、やたら余韻が残るキックという発想はDeath Gripsを聴いて思いつきました。
・エウレカ(Live)
これは絶対いれたかったやつです。Introとエウレカ(ライブ)はなんかボーナストラックぽくも思えるんですけど、このアルバムのテーマが思い出とか、高校生のときのこととかそういうことなのでその2つも入れて「My Lost Blue」なんです。
俺が本当に目指したかった姿を宅録の音源という形ではあるものの、再現してみました。
この音源は結構個人的にミックスに凝ってて、ライブのリバーブの低域が飽和してる感じとか、ベースがあまり抜けない感じを再現しようとしてます。
あと歌もパンチイン無しの一発撮りで、ギターも歌いながら録音しました。
Natsukageもいつかこれみたいにライブやりたいねって元メンバーと話してるんですけど、やっぱりタイミングが合わないと厳しいですね。
曲の解説は以上で終わりです。お疲れ様でした。
・機材の話
どうでもいい話です。
全部の曲でいつもの青ジャガーを使っています。(リードギターで参加してもらったものを除く)
エフェクターはマフとブルースドライバーとアンプリのディレイとかです。
一部の曲ではオレンジAD30モデルをリードとバッキングで使いました。
DAWはReaperです。モニターはクラシックプロの5000円ぐらいのやつです。
あんまり無駄なこだわりとか書くと発言と音源が吊りあってないジャンってことになりかねないのでこれくらいにしておきます。何事も耳で判断していきたいものですね。
・今後の活動について
とりあえず今回のアルバムで高校生のときの音源は整理できました。
スカイブルーは録り直すのがこれで二回目なんですけど、それは俺が満足できる出来にならなかったという理由なので、またこのアルバムに入っている曲をこれ以上焼き直しはしないと思います。
今回のアルバムのミックス面では俺の最大の力を出し切ったと自負しているので、他の曲も同様に、これからは大学生になってから作った曲を出します。
高校生の秋~今ぐらいまでずっとAt The Drive-InやFUGAZIを聴いているので、次作は90年台~00年台のポストハードコアぽいものを作りたいと思っています。
若い内に何かを形として残さないと、といつも焦っていたので高2のときから毎年一回はEPなどの形でまとまった音源を出すようにしてたんですけど、作ってもなんとなく焦っている自分がいるので、今度からはノルマみたいなものは考えないようにすることにしました。一年に一回って大分スローペースだなと自分でも思うんですけどね。
ということなので、次の音源については全くの未定です。
まだ何も考えてないんですけど、名古屋市でNatsukageとして実体のあるバンド活動をやりたいなと考えています。
最後まで読んでいただきありがとうございました。
Natsukage 天野